人生相談から再考する平古場凛について

◻︎はじめに
4月30日、許斐先生がツイートされた「ゴーヤが意外と美味しかった平古場くん」という文字を見て、わたしは瞬間、嫌だ、と思ってしまいました。
自分でも理由がわからないのですが、凛ちゃんのゴーヤ嫌いに執着してるところがあって、これだけはどうしても譲りたくなかったんです。
それが絶対神にひっくり返された衝撃。大混乱でした。
でも、先生が言うことが正だから、受け入れなきゃと思って、腹括って、なんとか読んで。
そうしたら、そこには何も変わらない平古場凛がいました。

これはあくまでもひとりのオタクによる一意見に過ぎませんが、思ったこと、感じたこと、まとめてみました。

 

◼︎ゴーヤ嫌いの理由について
多分、食わず嫌いだったんだと思うんです。
平古場くんは固定観念に縛られることが嫌いだから、沖縄といえばゴーヤというイメージに縛られたくない。だからゴーヤが嫌い。って無意識に結びつけていたんじゃないでしょうか。
さらに、40.5巻での「苦いのももちろんだけど、無理やり食わされるのが辛いんさー!」という台詞。これも無理やり=束縛と考えると、縛られたくない。だから嫌い。に結びつくんじゃないかなあと思います。

 

◼︎ゴーヤを食べてみたきっかけについて
嫌いなものを食べるって、それなりに覚悟がいると思うんですよね。まして彼はまだ中学生ですし。
それでもゴーヤを食べてみよう、挑戦してみようと思ったのは、全国大会を経て世界の広さを知ったからじゃないかなと思いました。
世界は思っていたよりずっと広くて、自分が見ていた世界はとても狭くて。
自分の世界を広げるためにも、ゴーヤを食べてみたら、思っていたよりずっと美味しかったんですよね。これでまたひとつ、彼の世界が広がったんだろうなあ。

 

◼︎ゴーヤが苦手な振りをするか迷った理由について
わたしは比嘉中のことを、意識が内側に向いている身内意識の強い集団、26年間の鬱憤に囚われて進めなくなってしまった集団だと思っています。
そして平古場くんは、自分を貫く意思の強さを持っていながらも一歩引いたところから周りを見ることができるバランサータイプだと思っています。
だから、比嘉中が囚われていることに気づいていながらも、平古場くんはあえてそこを変えようとはしてこなかったのだろうなと思っています。

ここからわたしは、平古場くんは永四郎にゴーヤが美味しかったと伝えることで、比嘉中の和を乱すかもしれないと感じているのではないかと思いました。
永四郎に脅されて、甲斐くんと一緒に怯えて逃げて。それを見て周りが笑ったり、またやってるよと呆れたり。そんな当たり前が心地よかったのではないでしょうか。

でもそれはこれまでの話で。世界の広さを知った今、踏み出したその先を知った今だから、伝えるか悩んでいるのだと思います。意識の変わり目だから、彼の中でも葛藤が生まれているのだとも思います。

きっと彼は永四郎に本当のことを伝えます。それは平古場くんと永四郎を変えるだけではなくて、比嘉中という集団にも影響を与えるんだと思います。
そしてまたひとつ、彼らは前に進めるのではないでしょうか。

 

◻︎おわりに
たとえ好き嫌いが変わったとしても、そこにいたのは芯の部分は何も変わらない、わたしの大好きな平古場凛そのままでした。
誰にも縛られない彼が好きと言っておきながら、わたしが縛っていたんですよね。変わってしまうんじゃないかと勝手に怯えていたんですよね。
誰にも縛られないということは、変わることに柔軟ということ。変化を恐れないということ。
馬鹿だなあって思います。彼の本質は何も変わっていなかったのに。
あんなに読む前は嫌だ嫌だ言ってたのに、読んだらびっくりするくらいすとんと受け入れられたんです。先生ってやっぱりすごいなあって改めて思いました。

これだけ長々と書いてきたんですけど、わたし、平古場くんのどこが好きなの?って聞かれたら即答できないんですよ。彼の存在そのものが好きなんです。大好きなんです。

多分これから先も平古場くんは変わっていくんだと思います。だって生きているんですから。
それでも、彼が平古場凛として居続ける限り、先生が平古場凛として描き続けてくれる限り、わたしはずっと好きでいられるんだろうなって思います。
テニスの王子様が好きで本当に幸せです!

 

なんだか最後に話が大きくなりましたが、今回はこんな感じでお届けしました!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ひのえ